< 起 源 >

鎌倉時代に博多で疫病がはやった時に、承天寺の聖一国師というお坊さんが、担いでもらった施餓鬼棚に乗り、祈祷水(甘露水)をまきながら町をまわって、疫病退散を祈祷した。そののち博多の町では施餓鬼棚に人形を飾って弁円の功徳を称えるようになり、そしてそれが山笠の原型となったというのが通説となっています。

< 概 要 >

福岡市博多区の一部(博多部と呼ばれることもある)において毎年7月に行われるお祭りで、博多区の櫛田神社に奉納される祇園祭。
博多祇園山笠には、2つの種類の山笠があります。
ひとつは、締め込みに法被姿の男たちが勇壮に舁き廻る(担いで走りまわること)「舁山(かきやま)」、
そしてもう一つは、高さ10m前後もある華やかな「飾り山」です。
博多部を中心に市内各所に「飾り山」と呼ばれる山車が設置(観賞用:7月1日〜14日)される。
7月1日の「当番町のお汐井取り」に始まり、15日早朝の「追い山」をもって終了する。

< 歴 史 >

仁治2(1241)年聖一国師が施餓鬼棚に乗って甘露水(祈祷水)を振り撒いて博多の町を清め回った。
天正15(1587)年博多の町の復興の時に太閤町割りとよばれる区画整理で7つの「流」が出来ました。
貞享4(1687)年三番山笠を四番山が追い抜こうと競争となり、面白いと早さを競うようになり「追山」となりました。
嘉永元(1848)年櫛田入りがきちんと奉納されるように、櫛田神社境内に清道旗が設けられました。
明治16(1883)年山笠が復活。この年から追山馴らしがおこなわれるようになった。
明治43(1910)年路面電車の開通により、市中を舁き回す「舁山」と装飾を見て楽しむ「飾り山」とに分離。
明治38(1905)年福神流は出発の際の雷鳴による混乱により、大正2(1913)年から能当番を受け持つことになる。
昭和24(1949)年4月に福岡市全体の祭として盛り上げようと博多祇園山笠振興期成会が結成。
昭和29(1954)年国の無形文化財に選定。
昭和30(1955)年1月28日に博多祇園山笠振興期成会は博多祇園山笠振興会と改称。
昭和35(1960)年県の文化財に指定。
昭和37(1962)年福岡市の要請により、山笠が福岡部(中央区)に披露する集団山見せが始まる。
昭和39(1964)年役員の発案により上川端通の走る飾り山が舁かれるなる。
昭和41(1966)年町名整理の影響により流が再編成。大黒流・東流・中洲流・西流・千代流・恵比須流・土居流の(新)博多七流が成立。
昭和54(1979)年国の重要無形民俗文化財に指定。
平成7(1995)年10月からNHK朝の連続テレビ小説で博多や山笠を題材にした「走らんか!」放映開始。
平成11(1999)年ふるさと切手の図柄に山笠が採用。




< 期 間 >

毎年、7月1日〜15日
1日〜14日「飾り山笠展示」市内各所に飾り山笠が展示されます。14日の24時を過ぎると取り壊されます。
1日「当番町のお汐井取り」夕刻、当番町だけで「筥崎浜」へ、舁山に取り付けるお汐井(真砂)を取りに行きます。
9日「お汐井取り」全町そろって筥崎浜までお汐井を取りに行きます。
10日「流れ舁き」流舁は流区域内を舁き廻ります。
11日「朝山」「祝儀山」ともよばれ、流の古老を敬う行事です。各町域の年寄りが台上りを務めます。
11日「他流れ舁き」他の流れに出向いて山を舁く。互いをたたえ合い、挨拶をして廻る。
12日「試し舁き」追山(最終日15日)のリハーサルです。追い山のコースの80%ほどを舁き廻ります。
13日「集団山見せ」舁山が旧博多部から那珂川を越えて福岡部(天神地区)へ出向く唯一の行事です。
14日「流れ舁き」流舁は流区域内を舁き廻ります。
15日「追い山笠」4時59分、一番山笠が太鼓の合図とともに櫛田神社境内(清道といいます)へ飛び込みます。タイムはこの清道に入って出るまで(櫛田入り)と、全コース(約5kmの道のり)が計測されます。

< 見どころ >
1.飾り山笠(7月1日〜14日24時まで)14日24時を過ぎると取り壊しを始めます。
この期間、福岡ドーム、博多駅前、博多リバレイン前、新天町、川端通り、キャナルシティなど
(その年により増えたり減ったりしますが)博多の街の色々な所に15基前後の飾り山が並び立ちます。
前面を表(おもて)、後面を見送り(みおくり)と言い、前面は出来るだけ櫛田神社の方を向くように据えてあります。
表(おもて)は、歴史上の出来事を、見送りはその年の出来事やアニメなどフランクな内容になっています。

2.舁き山笠(7月上旬〜15日まで)各流れの当番町の付近
各流れの中にその年の当番町が有り、その町内(限りませんが、)の適切なところに、舁き山が据えられます。
10日の「流舁き」から最終日の「追い山」の各行事の前には男衆が集まって山を舁き出します。
各行事を見に行く時、早めに訪れてみるのもいいかも。又、飾り山だけでなく一緒に舁き山も見て回りましょう。
(探すのは大変ですが、飾り山の所などにMAPがあったりします。)

3.追い山前夜(7月15日午前2時頃から)土居通りに舁き山が並びます。
本番の追い山に向けて、櫛田神社のそばから、当日の舁き出しの順番に7つの舁き山が並びます。
山を守る各流れの男衆や、見物人が右往左往する中を、時折隊列を組んで「おっしょい、おっしょい」と、通り過ぎる水法被。
各流れの山をまとめてそばで見れる絶好のポイントです。又、8番山笠の「走る飾り山笠」も近くに待機しています。

4.追い山笠(7月15日午前4時59分から)
山笠出発点付近は、櫛田入り(出発点から櫛田神社の清道を廻って博多の街に繰り出す)が見れていいのですが、
人が多くて、身動きが取れません。大博通りを軸に、明治通りに沿って移動して、最後に決勝点に行きながら各所で通り過ぎる山笠を見て廻るのもいいですよ。
(途中、人が多くて入れなかったり、山の通過前後は危険なので、道を渡らせてくれなかったり、勢い水をかけられたりします。ご注意ください。)




< 「〇〇流れ」の起源は豊太閣!? >
大陸貿易で栄えた博多は 戦国時代 大名、豪族の争奪の場となり 兵火で焼け野原になりましたが1587年 九州征伐に来た 太閤秀吉の命で 復興されます。
その時、町は 七つに分けられます。 太閤町割りと呼ばれ 現在の流(ながれ)の基となります。
魚町流(福神流)・呉服町流・須崎流(大黒流)・石堂流(恵比須流)・土居流・西町流・東町流の七流れです
その後、色々な変動があって今の大黒流・東流・中洲流・西流・千代流・恵比須流・土居流の七流に至っています。


< なぜ4時59分なのか? >
本来5時からの5分毎の出発だが、その年の一番山笠のみ清道旗を廻ったあと、能舞台の手前で停止し、博多祝い唄を唄う事に成っている。このロスタイムを1分考慮している為。

< 鎮め能の話 >
追い山の櫛田入りが終わり、山笠でわさわさとざわついていた社頭を鎮め、御神霊を慰めるために行われる伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。以前は7年に1回、7番目が能当番をしていたのですが、
明治明治38年、一番山が出たあと5分たって二番山の福神流れが出る時に、“あと3秒、あと2秒”の一番大事な瞬間に雷が落ち、スタート係が仕切りの竹ザオを上げたので、「やぁ!」と出発してしまった事が対立になってしまい、それ以来福神流れは、鎮めの能を引受けていました。


< はじめは競ってなかった! >
タイムを争う追い山の起源は一説によると江戸時代の1687年(貞享4年)という。土居町の助右衛門という人が娘を堅町の幾右衛門の息子に嫁がせた。その当時正月に娘の里に初めて帰って来たときに町の若者が花婿に笹水をいう水をかけて祝うという風習があったらしい。ところが,土居町の若者が少し度を越して桶までかぶせてしまった。これがもとで喧嘩沙汰になったがその場はなんとかおさまった。しかし,その年の山笠の当日たまたま2番山笠の土居町が東長寺あたりで昼食をとっているすきに堅町を含む官内町の3番山笠が正月の報復にと,食事もとらず追い抜こうとしたからあわてた2番山笠が抜かれてたまるかと駆け出し,それを見ていた町中の者がこれは面白いとはやし立てたことが追い山の起源と言われている。

< 走る飾り山笠 >
山笠は、昔は背の高い飾り山をそのまま威勢よくかき回っていたのですが、明治のころヤマが電線にひっかかって、たびたび切断したり、山笠が裸で走りまわるので野蛮だと、県知事が“山笠は中止すべし”となって博多の人たちはたいへん困ったそうです。
仲裁に立った人の努力と、櫛田神社では博多っ子がかがり火たいて集まり、ワァワァと大騒ぎになった事から、とうとう県知事が中止令を撤回しました。ここで仲裁をした人が“諸君、もうよかろう。強いばかりが男じゃない。電線に邪魔になるなら半分チョン切ればよい。裸がいけなかったら、そろいのハッピを作ればいい”と提案したので山笠が低くなりました。
それでも往時の山を偲ぶ人の心と上川端商店街の協力で、番外で距離は短いですが、走る飾り山が12日と15日には、八番山として参加しています。






< 用語 >

まえきれ!(前切れ)

舁き山の通り道にいると「まえきれ!まえきれ!」と声がします。
前を広げて山笠の通る道を作れ!と言うことです。
山笠の通り道に人が居ると危なかったり、邪魔になったりします。
うろうろしていると、ぐいっと押しのけられてしまいます。
押しのけられて怪我をしないように事前に通り道から離れておきましょう。


なおらい(直会)

神社に於ける神事の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事のことですが、
そこから派生して、山笠での打ち合わせやもろもろの飲み会をいったりします。


お汐井(おしおい)

福岡市東区の箱崎浜にある海砂のこと。
この海砂を升(ます)やテボ(=竹製の小さなかご)に取って持ち帰ります。
持ち帰ったお汐井は、山笠での無事を祈り、家を出るときにふりかけ身を清めます。


舁く(かく)・担う(いなう)

山笠をかつぐこと。胡瓜舁(きゅうりがき)はきゅうりと云うポジションをかつぐ人。

< 山の名称編 >

舁棒(かきぼう)

山笠を担(いな)うための6本の棒です。長さは大黒流のもので約5m50cm。両端には磨き上げられた真鍮製の鼻環(はなかん)がつきます。

桶(胡瓜)

一番棒(両外側2本の舁棒)の真ん中あたり、山笠側面部に被せる部品です。これを使用しない流もあります。この部分は形状から「胡瓜(きゅうり)」とよばれています。

棒縄(鼻取り縄)

一番棒(両外側2本の舁棒)の両端に取り付けられる荒縄を束ねたもので、山笠の舵をとる鼻取りが握ります。

御宮(指しもん)

「櫛田宮」「祇園宮」「大神宮」と書かれた山笠上部の指し物です。奇数番号の山笠(差し山)に取り付けられ、偶数番号の山笠(堂山)には付けません。

しなえ

山笠の見送り側に斜めに立てる台差し旗です。祇園宮の紋や流名などが染められています。据山の時は朱、動くときは紺のものに差し替えます。